オミクロンとまん防について思うこと

「オミクロンは(特に社会インフラにとって)驚異であるものの、それはそれとして今回のまん防の内容がピントから外れてるし、発令に至るまでのプロセスも良くない」というのが自分の考え。特に後者については、都道府県知事って何のためにいるんだ?と本気で思った。
しかし一方で、ツイッター等でまん防への不満を表明している人のツイートを見ると、「コロナ(オミクロン株)なんて大したこと無いのに」というフレーズとセットになっていることが多い。感染症の驚異と対策の妥当性は分けて評価してくれ、と思う。

そして、そのようなツイートをする人について、「この人は果たして、感染対策上個人としてやるべきことをやっているのだろうか?」という疑問が浮かぶのは当然ではなかろうか。ここ二年各種メディアを見てはいつも、それを見た人が個人で取れる対策を疎かにしないかを常に不安に思っていた。
オミクロン株が大したことないと思いたいなら思えばいい。急激に感染者が増えたことによる正常バイアスもわかる。ただ、まん防が出て各種営業時間が短くなろうと、そうでなかろうと、個人個人がその場その場で取るべき行動が変わるわけではない。
外で人と食事するというのなら、その状況下で取るべき行動を自ら考えてするべきだ。マスクしないときは喋らないだとか、一定時間おきにトイレに立って手を洗うとか。

さて、ある話題について立場が二極化する際、SNSで目につくのはその両極の数%の人の意見がほとんどだそうだ。だから極端なコロナ軽視者や反ワクチンといわれる人は、自分が心配しているほどにはきっと多くないのだろう。また、SNSという場が極端な意見を目立たせるというなら、極端な人の何人かは、自分が極端であることを自覚できるようになるかもしれない。