……に見つかった後の話
「一定数以上のRTやインプレッションに達するとおかしな人に見つかってしまう」というのはTwitterでよく言われる話だ。
そこで気になるのが、その状態に入っている人が果たして自分自身を律することが出来てるのかということ。
コンスタントに数字を出すインフルエンサーは、「おかしな人」からのリアクションもコンスタントに受けている。
どんなに無難な内容であってもそれは現れるし、逆にインフルエンサー自身が誤った内容を発信したときにも当然現れる。
その際に、誤った内容に寄せられる正当な指摘や苦言、疑問等から目を逸らし、おかしな人から受ける攻撃だけにフォーカスして被害者の立場を確保したくなる欲求を、果たしてどれだけ抑えられるのか。
今やインフルエンサーはその構造上、自分に寄せられるリアクションの中からいつでも被害者の立場を調達することができる。
「おかしな人」の攻撃範囲に入った有名人には往々にしてその分「おかしなファン」もいるわけで、その手合いはインフルエンサー自身がどう間違っていようが被害者と見なして同情してくれるだろう。
そういう点でインフルエンサーには、被害者の立場を確保してそこに甘んじるのではなく、自分自身の何が問題か?どこか改めるべき箇所があるだろうか?と、(飛んでくるリアクションとは無関係に)省みる力が求められる。そういった自律心は、ありきたりだがエコーチェンバーの形成を予防するために必要なスキルだと思う。
ラインを明らかに超えた誹謗中傷への対処と平行してその作業を行うことはにわかには想像しがたい営為だ。「有名税」とは単に悪口を言われることだけを指すのではなく、その過程を通じて自分自身を振り返れなくなることも含んでいるのかもしれない。