確かに労働はクソだが

確かに労働はクソだが、それと同じくらい自分自身もクソだということを、ここ最近一層自覚するようになった。

 

小説の『おいしいごはんが食べられますように』は「弱々しくて回りからかわいそうだと思ってもらえる側の人」と「がんばり屋でやせ我慢できてしまう側の人」の対比を描いた作品だが、その中に当てはめていえば自分は「がんばり屋でもないくせに独りで勝手に消耗している人」だ。たちが悪いうえに他者から理解されようがない。

 

ええ格好しいではなく、今それを自覚できてよかったと後々言えるようにしたい。